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2021/03/04

何度でも使えるコンテンツ


 パソコンでいろんなことをやり始めると、最終的にぶち当たるのが、自分で作ったコンテンツの再利用だ。一度作ったコンテンツを、何度でも何度でも手を変え品を変えて再利用できるのがデジタルコンテンツの真骨頂なのに、そのためのいい方法がない。

餅は餅屋といっても

 今、この文章はワープロアプリのWordを使って書いている。書き上がったところでブログサービスが提供する管理機能のエディタにコピペし、装飾を調える。使った図版についてもアップロードが必要だ。

 その作業がめんどうくさい。そのめんどうくささを解決するのが、最初からブログサービスのエディタを使って書く方法だ。ローカルのパソコンアプリで書いたコンテンツも、コピペして装飾している最中に気がついた誤字脱字はその場で直してしまうし、言い回しを変更することも多い。そうなると、手元に残ったアプリのデータは下書きにすぎず、最終稿としてはブログで公開したものがオリジナルになる。もちろん、ブログ側のコンテンツに修正を加えたら、必ず、手元のアプリデータにも同じ変更を反映するようにすればいいのだが、そんなめんどうなことはやっていられない。何か理不尽さを感じながらも、こうしてWordで最初の原稿を書き続けている。

 

既存文書をひとつにまとめる

 日常的に作る文書についても同じ悩みがある。たとえば、ちょっと長めのコンテンツを作っているときに、以前に作ったコンテンツを流用したくなったとしよう。以前の文書を探し出して、当該部分を作成中の文書にコピペすればいいのだが、ここでも冒頭のケースと同じ問題が生じる。コピペ後に修正を加えたときに、元の文書にそれが反映されないのだ。次に同じ文書を流用したいときに、よりよい表現のはずの修正後文書が活かされないことにもなりかねない。

 そもそもアプリは何でも自分だけで完結しようとして、他のデータとの依存関係を持ちたがらない面がある。Wordなどでは、既存文書の結合すらたいへんだ。複数の章で構成されたコンテンツを章ごとにファイルを分けようものなら、それをあとでまとめるのが、どれほどめんどうくさいか。

 もちろんWordにもそのための機能はある。アウトラインモードでグループ文書を作り、サブ文書として既存のファイルを挿入していけばいい。つまり、ファイル同士に親子の関係を作る。それによってどちらに変更を加えてもよい状態にできる。だが、この機能、日常的にこの機能を使っている人が考えたとは思えないくらいに煩雑だ。また、文書の一部を引っ張ってくるのも難しい。もうちょっとUXを工夫できなかったのだろうか。

 こうして似たようで非なるコンテンツが手元に蓄積されていく。もりそばをざるそばにするには海苔をかければいいだけなのに。

 こういうことを考えると、昔のLaTexroffC言語のMakefileなどは、すごくラクができるように設計されていたんなと今改めて思う。GUIというのも考えものだ…。