見かけと装飾
手書きでは読みにくいから出版物のように美しく印刷する。昔は、ワープロは専用機も、パソコンアプリもそんなふうに使われていた。それを引きずっているのかどうか、今なお、装飾しながら文書を作る人は少なくない。
大事なところを太字にしたり、タイトルは大きくするといったことのみならず、重要なところにアンダーラインをひいたり、ラインマーカーで目立つようにしたりといった具合だ。どっちでも最終的に読みやすくわかりやすい文書ができればそれでいいのだが、大事なところは全体を見通さないとわからないのではないだろうか。
大事なのは文書の構造
本当にちゃんと考えなければならないのは、文書の論理的な構造だ。人間は賢いので大きな文字でセンタリングされていたらそれはタイトルだと想像できるし、本文の適当なブロックごとに太字で挟み込まれているのは見出しなんだなと理解することができる。
そのうちAIも、そんな感じで人間の書いた文書を判別するようになるとは思うし、もっといえばちゃんと文章の内容を理解してその構造を類推するようになるのだろうけど、今のところは、人間が機械に寄り添って配慮するしかない。
タイトルはタイトル、見出しは見出しであるということを明確にして、文書を構造化するわけだ。Wordでいえば、スタイル機能がそれにあたる。任意の段落にスタイルを設定すると、文字が大きくなったり色がついたりと、その見かけが変わるが、本質はそこじゃない。その部分が文書全体の中でどういう意味を持っているのかを明示することが目的だ。
こうして文書を構造化しておくことで、見出しだけを抜き出して順に並べれば、文書がどのように構成されているのかが一目瞭然だ。世の中的にはこれをアウトラインと呼んでいる。人間にもわかりやすいのはもちろんだが、こうしておけば、機械が読んでも構造が伝わる。それによってレイアウトなどをダイナミックに変えたりすることもできるわけだ。これが伝わらないと、たとえばA4文書をA5サイズに変更しようとしただけで、文書全体がガタガタに崩れてしまう。印刷用ではなく表示用に体裁を整えるときの自動制御もうまく働かないだろう。
おそらく将来は、人間がそうであるように、文書の見かけだけでも、AIがその構造を理解するようになるとは思うが、今はまだそうはなっていない。でも、文書の見かけだけを気にするのはやめにしよう。ちょっと見かけを変えるのに1文字ごとにスペースを入れた「山 田 祥 平」を探すのに「山田祥平」では見つからないということは、さすがにないけれど、どこかで網の目からこぼれ落ちる。