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2020/08/11

いつでもどこでもいつまでも



 今の時代、連絡手段は多岐にわたる。いろんな方法がある中で、インターネットメールの汎用性は抜きん出ている。つまり、つぶしがきくということだ。それはなぜか。

コミュニケーション手段としてのメール

 仲間との連絡はLINEに頼ることが多いという方は少なくないと思う。もはや日本国民にとって欠かせないコミュニケーションインフラといってもいい存在になったLINEだ。
 コロナ禍によって、日中の携帯電話通話が増えたそうだが爆発的な需要増とはいえないそうだ。それでも、「おーい」と呼べばすぐに話ができる距離に同僚がいない以上、ちょっとした連絡を携帯電話での音声通話やLINEに頼りたいという気持ちはわからないでもない。ただ、LINEの場合、電話番号との紐付けが基本なので、異なる機器からの利用が難しかったり、機器を移行したときに過去のやりとりを引き継ぐのがたいへんといったデメリットもある。回避手段はたくさんあるが柔軟性が低い。電話番号に紐付けされた電話連絡の悪いところもそのままだ。それがわかりやすいと錯覚してしまう。これは携帯電話事業者によるキャリアメールがたどった道とも似ている。
 その点、インターネットメールは脳天気に使える。クラウドストレージにファイルを保存するのと同様に、届いたメールはどんどんサービス側に預かられる。それを好きなときに、好きな機器で、好きなタイミングで読み出し、必要に応じて返事をするだけだ。相手もそれを好きなときに、好きな機器で、好きなタイミングで読める。

いつまでもコミュニケーション残す

 そして重要なのが、やりとりしたメールを基本的にいつまでも読めるということだ。つまり、コミュニケーションの記録が残る。めんどうくさそうな分類など、整理の心配はしなくていい。過去のメールは、いろんな方法で検索ができるので、とにかくそのまま置いておくだけでいい。
 メールは時候の挨拶などを書いたり読んだりがめんどうだという話もよく聞くが、それがうっとおしいなら書くのをやめてしまえばいい。こちらがやめれば相手もその気になるだろう。チャットやインスタントメッセージのようにメールを使えばいい。
 もちろん、メールはいろいろな用途に利用される。たまに確認しても、はるか昔に登録したメールマガジンや、いわゆる広告メールばかりで、自分だけに宛てたメールが見つからないということも多いかもしれない。多くのパーソナルコミュニケーションがLINEなどに移行した結果だ。
 でも、そこを変えないと何も始まらない。そして変えるためにインターネットメールに会期するなら、これから何かを調達するといったことをしなくてもすむ。いわば完成したプラットフォームだからだ。時代に逆行しているといわれそうだが、その汎用性によって、インターネットメールは何十年も使われ続けてきた。